ペスタロッチの生涯。民衆教育の父が苦難の中で貫き通した信念

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民衆教育の父。そう称されたペスタロッチという人をご存じでしようか。

激動の時代を生きて、それでもなお、貧しい子供たちの事を一番に考え、自分の事は二の次三の次としていた彼の生涯は、苦労と苦難の連続だったそうです。

自身が生きた時代が織りなす苦難自身が迎える様々な人間関係経済環境など、諸々の生活環境下

この3点から、ペスタロッチのヒストリーを紐解いてみたいと思います。

民衆教育の父と称されるまでの彼の経緯、周囲の環境、時代背景にはどんなドラマがあったのでしょうか。

ペスタロッチ、一生涯の時代背景

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi イタリア語: [pes.ta.ˈlɔt.tsi] ドイツ語: [pɛstaˈlɔtsi] , 1746年1月12日 – 1827年2月17日)は、スイスの教育実践家、シュタンツ、イベルドン孤児院の学長。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事し、活躍の舞台として、スイス各地にまたがるノイホーフ、シュタンツ、イフェルドン、ブルクドルフなどが有名である。

一部の研究者は、「ペスタロッチー」と表記するが、「Pestalozzi」はイタリアの姓であり、ドイツ語およびイタリア語の発音では「ペスタロッツィ」が正確である。妻はアンナ・シュルテス(1764年に結婚)、息子および、孫にゴットリープがいる。

ウィキペディアHP

それでは、ペスタロッチが生き抜いた時代の大まかな歴史を紹介します。

今回は「民衆教育の父の生涯」という事で、みやびパパにも学習してもらいましょう。

みやび(パパ)
きお太の教育の為、民衆教育の父らしい、厳格な父を目指しに来ました。歴史と言えば私・みやびです

さて、些細なネタバレとなりますが「ペスタロッチが厳格な父である」という内容ではないので、歴史といえば~の辺りがすごく怪しいみやびさん。
…大丈夫かしら。

みか子
本日、きお太の教育の参考にと、記事を立ち上げたインテリ眼鏡主婦・みか子です。

それでは早速、ペスタロッチの誕生から見ていきましょう。

出生から十五歳まで

  • 1746年 ペスタロッチ出生
  • 1748年 モンテスキューの法の精神が刊行される
  • 1749年 第二次カーナティック戦争
  • 1753年 イギリスで大英博物館が設立
  • 1755年 フレンチ・インディアン戦争(終戦‐1763年) ルソーの人間不平等起源論刊行
  • 1756年 七年戦争(終戦‐1763年・パリ条約とフベルトゥスフルク条約により終戦)
みやび(パパ)
へぇ~、この年代に大英博物館ができたんだね。それに、モンテスキューにルソー、確か授業で言っていたような、いや、言ってなかった筈!
みか子
パパ。しっかり歴史の授業で言ってます。授業はちゃんと聞きましょう。

ちなみにペスタロッチは子供時代、裕福な子供達と、貧しく働く子供達の生活の差に心を痛めていたみたいです。

みか子
優しい人だったのねぇ…

大学時代、農場・貧民学校経営、文筆業時代

  • 1762年 ルソーの社会契約論刊行
  • 1770年 ルイ16世とマリー・アントワネット結婚
  • 1783年 パリ条約でイギリスがアメリカの独立を承認
  • 1786年 トスカーナ大公レオポルド一世が、ヨーロッパで最初の死刑完全廃止
  • 1787年 ルイ十六世と会見し、ヴェルサイユ条約を締結
  • 1789年 フランス革命
  • 1792年 フランスがオーストラリアに宣戦布告し、フランス革命戦争始まる
  • 1793年 ルイ16世の処刑。第一次対仏大同盟結成
  • 1796年 ナポレオンの第一次イタリア遠征
  • 1798年 ナポレオンのエジプト遠征。第二次対仏大同盟結成
みやび(パパ)
フランス革命はばっちりだぞ! なんかすごい変化だよ。びっくりするくらいの!
みか子
パパの発言の方がびっくりよ。フランス革命は、簡単に言うと「絶対君主制を崩壊させた市民革命」のこと。好き放題に市民を使ってきた「ツケ」が一気に返ってきたのね。これにより近代国家体制を築くきっかけとなった歴史的に有名な革命戦争なんです。
みやび(パパ)
どこかの国を彷彿とさせる…
みか子
あの黒電話みたいな人も、きっと同じ末路を辿るわよ

ペスタロッチは青年期、ルソーの思想に感銘を受けた。
それが吉と出たか、凶と出たかは定かではないものの、結果的にその後、大変苦労した事が史実に綴られています。

シュタンツ孤児院・後の学校経営から晩年

  • 1799年 第四次マイソール戦争にイギリスが勝利
  • 1801年 グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併
  • 1802年 第一次サウード王国がメッカ、メディナを占領・英仏間でアミアン講和条約
  • 1803年 イギリスとマラーター同盟の間で、第二次マラータ―戦争が勃発
  • 1804年 ナポレオンがフランス皇帝に即位
  • 1806年 イエナ・アウエルシュタットの戦いにより、大陸封鎖令(ベルリン勅令)発令
  • 1812年 ナポレオンのロシア遠征・米英戦争
  • 1814年 フォンテーヌブロー条約により、ナポレオンがエルバ島に流される
  • 同年  ルイ18世がフランス国王となる(ブルボン復古王政)
  • 1815年 ワーテルローの戦いでナポレオン敗北。セントヘレナ島へ流され、1821年・死去
  • 1820年 リエゴらによるスペイン立憲革命
  • 1821年 ギリシャ独立戦争
  • 1827年 ペスタロッチ死去
みやび(パパ)
歴史だけを見ると、戦争ばかりだな。この時代の人達は、本当に凄い精神力で生きてきたと思う
みか子

確かに、戦争に、飢饉。生きる事が必死の時代よね。ペスタロッチもそうだけど、この時代の偉人達は、絶大な苦労を経験したってことよね

この年表を見るだけでも、ペスタロッチは「戦争の時代」を生きた人だとわかりますね。
81年間もの間、戦争、革命の連続なだけでも気が狂いそうなものなのに、貧困な子供たちの事を一番に考えるなんて、どれだけ強靭な精神力の持ち主なんでしょうか。

他にもペスタロッチについて書かれた記事はこちらです。

教育家ペスタロッチとは?名言や著書から知る教育思想まとめ

2018.12.12

ペスタロッチの軌跡と苦難

みか子
ここからは、私の勉強の成果をお見せします!
みやび(パパ)
次はドキュメンタリー調で行くんですね?

苦難と挫折の連続

1746年、チューリッヒに生まれ、五歳時に医者であった父が死去。母親とプロテスタントの牧師である祖父に育てられる。祖父の人格的影響を受け貧しい人の為をと、社会正義を学ぶ。

やがて成長したペスタロッチは、コルレギウム・コロリヌム(現:チューリッヒ大学)で当時の最高学歴を取る。ルソーの思想に強い感銘を受け、愛国者団に所属し、社会改革運動を行う。

しかし、この民主主義化を求める活動を行っていたことが災いし政府に要注意人物として目を付けられ、卒業後、国家に関する仕事の道が閉ざされ、農業経営の道を進む。

1771年。一年間の修行を終え、アールガウ州に土地を買い、農場経営を開始する。(その場をノイホーフと名付ける)そして、妻・アンナ、息子・ハンスヤーコプ(愛称:ヤッケリ)と暮らす。しかし経営者としての才が無く、二年で挫折してしまう。

この間に村では酷い凶作の年を迎え、貧民の子供達が溢れた。ペスタロッチは、そんな貧しい子供達の為に、学校を開こうと思いつき、貧民学校を始める。

子供達には、職業面においての技能を身に付けさせ、経済的な自立を目的とした教育を行った。しかし、寄付金が集まらず、親たちの我儘な要求により、運営が成り立たなくなる。

1780年、貧民学校の失敗に、自身の生活面でも精神面でも落胆したペスタロッチの前に、リーザべートという女性が現れる。彼女は、彼の慈善活動に感銘を受け、彼の一家と農場経営を立て直した。ペスタロッチは、そんな彼女をモデル(著書に登場するゲルトルート)とする「リーンハルトとゲルトルート」を執筆する。

みやび(パパ)
他人の、それも子供の為にと始めた学校経営なのに、失敗に終わる絶望。資料に詳しく記されてないと思うけど、周囲の人達の噂とか、悪態とか、そんなのもあっただろうなぁ
みか子
そうかもしれないわね。近所でも、誰かの噂とかで、嫌な想いしたことあるのに、それ以上過酷な環境での風評だもん。家族や、自分の思想に共感してくれたリーザベートの存在は、ペスタロッチにとって、非常に大きな救いだったと思うわ。

人生の転機

1798年、フランス革命後、今度はスイス革命が勃発。民主主義思想を広めようとした政府軍に反発し、焼き討ちにあった、シュタンツという街から多数の孤児が生まれた。

当時の文部大臣・シュタッパーは、思想家として、社会改革運動についての文章を多く用いたペスタロッチの多くの著書を高く評価し、この孤児の為の学校を開く様に願い出る。そして、孤児の為の学校を開くも、批判者に足を引っ張られ、半年で閉鎖され、学校はフランス軍隊の病院とされてしまう。

1799年、シュタンツでの学校のことで養生していたペスタロッチは、心落ち着かず、ブルグドルフという町で先生になり、どんな子供でも学べるような教科書を作成する。

1800年、ブルグドルフ学園を創り、1801年、「ゲルトルート児童教育法」を出版。この本の読者の多くが、この学園で教育を受けました。しかし同年、息子・ヤッケリが死去する

1804年、スイス革命に対する反動時期が影響し、ペスタロッチはブルグドルフを去る事になる。そして、イヴェルドンという町で、イヴェルド学園を開くことになる。

1806年には当時では珍しい女子学校。1816年には、聾唖:ロウア(耳が聞こえず、言葉が話せない)学校を設立。

1818年には、クランディに、念願の、貧民学校を設立するが、経営不振の為、一年でイヴェルド学園に吸収される。

1826年、齢82歳。農場経営時代の故郷・ノイホーフで最期の時を迎える

みやび(パパ)
歴史を知ると、その時代に生まれた書物や、名言なんか、単に聞いて感心するより、もう少し深みのある言葉としてとらえる事が出来るなぁ。(ってか、ママ、いつの間にこんな記事書いたんだ?)
みか子
言葉って不思議ね。単に聞くだけより、背景を知るだけで、その深み、重みが加わって、その分だけ人の心に響く名言になるんだから

歴史を知るとは、極論ですが、人間を知ろうとすることなのかもしれませんね。

追記

ペスタロッチは… 

祖父の教えルソーの思想自分の置かれた環境が影響し、その人生を子供達の為に尽くしてきたと言えます。貧民学校時代には、貧しい時に、子供達にパンを与え、自分は川の水を飲んでいたといいます

戦争や様々な争いの多い時代。貧困が相次ぎ、周囲の民衆たちも生きる事が必死の時代。彼が貫き通した意志の強さは、とてつもなく強く、そのような時代に生まれた名言・格言は、未だに多くの人々に影響を及ぼすほど、磨き抜かれた魅力があります。

父より先立った息子の生涯

両親の期待したように成長しない。読み書きに関するほとんどの才能が無くてんかん性発作を繰り返し起こした。さらに貧困教育施設で、不良の子供達とも交わり、ヤッケリに痕跡を残す。

ペスタロッチは、教育学者:ペーター・ペーターゼンに息子の事で手紙を送り、後、13歳のヤッケリを他所で教育させる決心をし、ペーターゼンが家庭教師として働いていたバーゼルの商人・フェリックス・バッティアに委ねる。

1782年の春以来、ペスタロッチは、ペーターゼンと、教育学に関する内容の濃い文通を続ける。

1785年バッティア家で商業の見習修行を行い、ノイホーフに戻ってくる。

1791年アンナ・マグダレーナ(旧姓フレーリッヒ)と結婚。

10年後にヤッケリは死去するが、息子・ゴットリープにより、家系は維持される。しかし、その息子・カールは妻を娶らず、子も残さなかったために、家系は彼の代で途絶える。

みやび(パパ)
(ペスタロッチについて一応僕も調べてみたんだけどなぁ…ママに全部持ってかれたよ、お見事~~)

ペスタロッチ死後、影響された著名人達

影響を与えた人物達
  • フリードリヒ・フレーベル
  • ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト
  • 沢柳政太郎(成城学園)
  • 小原國芳(玉川学園)
  • 長田新(おさだあらた:広島大学初代学長)
  • 欧米の「新教育運動」の理論家たち

これ以上に、名前を世に残さないまでも、ペスタロッチに影響され、誰かの為に行動を起こした人達も数多くいます。

ペスタロッチの著書
  • 隠者の夕暮れ:1780年
  • リーンハルトとゲルトルート:1781-1787年
  • クリストフとエルゼ:1782年
  • 立法と嬰児殺し:1783年
  • 然りか否か:1797年
  • 人類の発展の歩みについての私の探究:1797年
  • 寓話:1797年
  • ゲルトルートはいかにその子らを教えるか:1801年
  • 我々の時代と私の祖国の無垢と真面目さと高貴さについて:1815年
  • 白鳥の歌:1825年

ペスタロッチの生涯は、幼少期に父を亡くし・青年期に活動内容から目指していた弁護士の道を断たれる。以降、農場経営・最初の貧民学校と、立て続けに失敗に終わる。時期を置き、シュタンツでの孤児を扱う学校も潰れると、失敗・挫折・苦悩の連続ばかり。

ようやくこの苦労が報われ出すのが53歳以降の彼の歴史。学校・学園が評価され、彼の苦難の時期に手掛けた書物に感銘を受ける者達が増える

それでも幸福な日々を過ごしたのではない。子供達の為に考え続け、苦悩する事は治まらず、息子も早くに失う。

激動の時代を生き抜き、一心に貧しい子供達の事を考え続けたペスタロッチは、決して名誉の為に教育に携わり続けたのではない事は確かです。

みか子
ただ、その時々の問題に向き合い、失敗の結末を何度も経験し、終わりの見えない道を歩み続けただけなのね。とても真似出来ることじゃないわ

時代背景、当時の環境と照らし合わせても、まともな生活する事すらも困難な時代、落胆の時期を乗り越えれたのも、自身の思想を通し続けれたのも、彼を必ず支えてくれる人達がいたからだと思われます。

その点に関して言えば、彼は運が良かったのか、苦難の中でも人の為に働き続けた功績に、天が与えた救いの手か。

みか子
誰もが判断できる定かなものじゃないけれど、この救いの存在があったから、彼は自分の念願・貧しい子供の為の教育に携わる信念を貫き通せたのかもしれませんね。

みか子
この記事でいい勉強になりました。私も、ちょっと子育てで悩んでる時もあるけど、彼に比べれば些細なものよね。やる気出てきました。
みやび(パパ)
僕も変に気取らず、きお太の教育に、不器用ながらも一生懸命に励んでいこうと思うよ。

人を育てる事は、いつの時代、どんな環境であっても、大変という事ですね。

ペスタロッチに影響されたフレーベルに関する記事はこちらです。

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まとめ

  • ペスタロッチの生きた時代
  • ペスタロッチの功績と苦難
  • ペスタロッチを礎と影響

彼の死後・多くの人に影響を及ぼし、偉人」と称えられた彼の生き方は、教育だけでなく、先の見えない状況下でも、信念を貫き通すことが如何に困難であるかを証明しています。

それでも貫き通したペスタロッチが「民衆教育の父」と称えられるのは、必然だったのかもしれませんね。

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